いびつさが武器になる

読書記録
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会話の0.2秒を言語化する 水野太貴

なぜ私たち人間はおしゃべりができるのだろうか。そんなこと、全く考えたことがなかった。脳みそと口があるから?おしゃべり、会話は、1人の話者が話し、それが終わるとまた別の人が話し始める。話者が交代することをターンテイキングと言うが、ターンテイキングには平均200ミリ秒、つまり0.2秒しかかかっていないというのだ。これが日本語になるともっと短くなるという。この200ミリ秒がこの本のキーポイントである。人はなぜ、わずか200ミリ秒でターンテイキングできるのか。幼い頃からなぜか言語が好きで、難読漢字、英文法、それから大学で言語学を専攻され、今は言語学者ではなく出版社で編集者として働かれている、言語学にいびつな知識を持っている作者がご自身の疑問に答えるべく書かれた本である。

印象に残った点として、まず本の最初に紹介されている語用論を挙げる。語用論とは、文の解釈、文脈の解剖に関する言語学の一分野である。語用論の中で、人が会話する上で自然と従っているルール(協調の原理)が提案され、このルールを守らないと人は自分の発言を深読みされたり、間違って解釈されたりする。一方で、わざとこのルールに逸脱することで自分の伝えたい意図を伝えられることがある。

また人は「ネコ」の意味さえ説明できない。「ネコって何?」と聞かれてモレなくダブりなく説明できますか?そもそも意味って何?数年前に少し、現代哲学、論理学、分析哲学の本を読み漁ったことがあったけど、その議論に似ていると感じた。私はネコを理解しているのに、ネコの意味をきちんと説明できない。子供が小さいころ、犬の写真を指差して「にゃんにゃん」と言った時、「これはわんわんだよ」という説明が難しいなと感じたことを思い出した。「わん」と鳴けば犬なのか、「にゃん」と鳴けば猫なのか。「わん」と鳴く猫はいないのか。耳が垂れ下がっているから犬なのか、でも、耳の垂れ下がっている猫もいるはず・・・。ということで、私はちゃんとこの写真が「犬」だと分かっているのに、なぜこれが「犬」なのか、「猫」じゃないのかという説明ができなかった。また、「帰省」と「帰郷」の違いや「近づく」と「近寄る」の違いについても興味深かった。

もちろん会話は文以外にも様々な手がかりを使って、目の前の相手に意図を伝えたり、あるいは読み取ったりしている。例えばイントネーションであったり、ジェスチャーであったり、フィラーであったり、それらも手がかりに我々はおしゃべりを楽しむことができる。私はなかなかフィラーを克服できず、ちょっと劣等感があるけれど、フィラーもただ無駄なものではないということがわかって、すこーし救われた気持ちになった。「あのー」とか「うーん」といったフィラーも文脈によっては使える時と使えない時がある。6×8はと聞かれ、「えーと、48」なら自然だが、「あのー、48」だと不自然になる。一方で上司にプロジェクトの進捗を聞かれた際に「えーっと、申し上げにくいんですが、遅れております」と「あのー、申し上げにくいんですが、遅れております」だと、後者の方が丁寧だと感じる人も少なくない。これらの事実から「あのー」と「えーと」と「うーん」では違う役割を果たしている。

0.2秒の間に我々は話し手の文の構造を解析し、その意味の理解をし、どういった文脈での話なのかを推論する。また、ここまでが発話の理解で、その後、自分が何を話すべきか、自分の話すタイミングを見計らい、自分がどう応答するか、発話の内容を考える。その際にフィラーやジェスチャーを無意識に出したりして、自分の言語化を促進させることもある。

その他、世界はもちろん、また日本の中だけでもコミュニケーションの文化が異なるという背景がある。こう言ってしまうと簡単だけど、そんな中でおしゃべりしている人間ってすごいということを教えてくれた、いびつな本でした。 こんな本を読んで何になると思わなくもないですが、自分の知らないことを知っていくことってとっても楽しいという当たり前のことを最後に書いておきます。

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